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第8回 バンバの移り変わりからまちづくりを語る(2)

  • 執筆者の写真: Kikoh Machidukuri
    Kikoh Machidukuri
  • 4月20日
  • 読了時間: 9分

更新日:4月22日

斎藤商事株式会社 齋藤高藏さん

マスブチスポーツ 増渕洋介さん

 

左:齋藤高藏さん、右:増渕洋介さん

 

大雨の思い出

 

――当時は台風や大雨で田川や釜川があふれ、洪水になることもありました。そういった災害の記憶などはありますか。

増渕 台風になると、水が溢れて大通りからこっちにどんどん流れてきました。うちは少し土地が高かったので、大きな被害に遭わなかったのですが、向かいにあった魚屋さんは逆に少し低かったので、大雨のたびに釜川が溢れて、水が店に流れ込むわけです。なので、雨となると一生懸命砂袋を積んで、水が入れないようにしていたのを、覚えています。

 昭和30年代の、名前を忘れましたが大きな台風がきた時には、釜川だけでなく池上町の方から水が流れ込んできました。今みたいに排水口や下水が整備されているわけではないので――どう説明したものか、本当に「こんなに水があふれてくるもんなんだ」と呆れるくらいでした。

 台風の時は学校は早仕舞いで帰らせられました。喜んで帰ってくるのですが、帰ってもやることがない。ふだんの遊び場は水浸しです。その光景を「すごいな」と思いつつ見ていたのを、覚えています。


――台風になると、増渕さんの家の被害はどの程度だったんですか?

増渕 水は流れてきているけれど、うちの中には、案外入らなかった。土地が高かったし、土塀もしていたからでしょう。

齋藤 うち辺りでも、水害というのは全然記憶にないですね。釜川が氾濫した時は、大通りでも4~5軒先ぐらいまでは水が上がっていましたが。バンバ周辺というのは、意外と土地が高いのでしょうね。

増渕 その分、日野町から下に向かって流れていきました。

齋藤 だから、この周辺だけはあんまり、水害っていうのはなかったんじゃないかなと思います。

増渕 ただ、台風の時のあふれた川の水が、新川の方から降りてきました。あれはすごい量だったと思います。


――池上町という名前は、そのあたりが「池辺郷(いけのべごう)」と呼ばれていたことに由来するそうですが、その名前の通り、低くなっているんですね。

増渕 そうですね。西武百貨店といえば、建てる時は当初は地下2、3階まで作る計画だったと聞きました。

齋藤 そのつもりだったのですが、岩盤があって、硬くて掘れませんでした。

増渕 そんなに硬かったんですか?

齋藤 硬過ぎて、もうこれ以上掘ると金と時間ばかりかかるっていうんで、途中でやめたんですよ。意外と地盤はいいんですよ、この周辺。

増渕 鏡ヶ池があった場所ですから、てっきり柔らかいかと思っていました。

齋藤 私もそう思っていたんですけれどね。意外や意外、地盤はすごく硬くて。あの周辺は、地盤は良いですね。

 齋藤高藏さん

 

これからの中心部

 

――今、県庁前の空き地のところにはマンションも含めた複合施設を建てるという計画があるようです。また現在MEGAドン・キホーテがある場所も再開発計画が出ています。中心部には高層マンションも増えていますね。

 こうしてみると、人の流れの都心回帰傾向が見えるように感じますが、いかがでしょうか。

齋藤 中心部がにぎわってくれるのは、うれしいことだと思います。それに沿った形で、私どもでも再開発で高層マンションを考えてます。

 ただ、言えることは、せっかく都心居住でいろいろ新しいマンションなんかができてますけど、残念ながらいわゆる買い物する場所が足りない。「ドンキがなくなったらどうするの?」という声も聞こえてきています。

 ですから、可能であればスーパーなど商業施設を誘致したいと思っています。

 オリオン通りにしても、呑み屋さんが増えたことは、いろいろなところで話題になっています。その分、昔からある専門店が、オリオン通りからどんどん減ってしまっています。以前は八百屋さんも魚屋さんも楽器店さんも書店さんも、いろいろな専門店が軒を連ねていましたが、それらがどんどん消えてしまっています。

 これからまちづくりに関しては、やっぱりバランスの取れた商店街も考えていかなきゃならないなと思います。とは言うものの、人々の購買の仕方が、インターネット時代にはずいぶん変わってしまいましたから。ネット時代にいかにして商店街を復活させるかは、なかなか難しい問題でしょう。

 

まちづくりとLRT

 

増渕 宇都宮市中心部は再開発計画はたくさんありますが、なかなか進みませんね。

 それでも、関係している皆さんは一生懸命やっておられますから、時間はかかってもきっと良い方向には向いて動いているんだろうなとは思っています。


――今も、たとえばLRTが大通りを通る計画が進んでいます。それが通れば、また人の流れは全然変わるっていうふうにお考えでしょうか。

増渕 はい、そうですね。

 人間というのは「これまでならば歩いて何時間かかるところを、これに乗ると10分で行ける」などのメリットを感じないと、なかなか利用しませんし、移動しない。昭和47~50年前後は車時代でしたから、駐車場がないと行けないと言われました。だから「バンバに行ったって、駐車場もないし、あっても有料で駐車料金払って云々」っていろんなこと言われて、それでなかなか商売ができなかった時代も経験してきました。

 そういうのも踏まえて考えると、LRTなど交通網の整備は重要ですね。

齋藤 それは重要ですよね。やっぱ足がないと、人は動かない。歩けって言っても限度があるから。

 

増渕洋介さん

 

――今までは環状線周辺のロードサイドの店舗がどんどん増えてて、その代わり中心部のいろんなお店が衰退する現象が起こっていましたが、LRTによってそれが逆転させられるかも知れません。これが今後の大きな街の活性化ではないかと感じています。

 それに加えて、昔の町名であるとか、二荒山神社とか、宇都宮城址公園など、シンボリックな場所や施設、祭りなどを、もっと前面に出していくと、人も集まってくれるんじゃないでしょうか。

齋藤 そうですよね。LRTで今一番にぎわってるのはベルモールさんでしょ。やっぱりあの便利性っていうのはLRTができて、足がつながったっていうところだと思います。

 正直言って、私らもLRTが開通する前は「できたからって、どこへ行くの?」と思っていました。でも実際に走り出すと、意外と多くの方に利用されています。沿線周辺に人気スポットができたり、流行ってきてるっていうのは、やっぱり一つ大きな人の流れの変化じゃないでしょうかね。

増渕 LRTに乗って数百円かけて目的地へ行って、また戻ってくるというスタイルが、これまでの車より便利なのかというのは、利用する人の考え次第ですが、世の中全体がそちらへ向かっていると感じます。

齋藤 ちょっと前までは、インターパークのシネコン(MOVIX)が人気がありました。現在はベルモールのTOHOシネマズも人がたくさん入っています。だから、人の流れってやっぱり変わるんだなと思ってね。昔はほんとにインターパークに車で皆さん行ってたと思うんですけど、LRT開通後はベルモールのあそこのシネコンのほうが今は伸びてるって言ってましたから、人の流れってそういうもんだなと思って、ちょっとびっくりしました。

増渕 本当ですね。新しい移動手段や、再び脚光を浴びている自転車など、世の中がいろいろ変わってきてますから、それに対応しなくちゃならないですね。これからは、さらに「LRTで買い物行こうよ、ゆっくりしようよ」という時代になってくるのかもしれません。

 そうすると、郊外の店の大きなショッピングセンターでは何々が買える、でもバンバの店では何々が買えるというふうな比較対象が必要になります。

 同じもので値段も一緒だったら、近いとこで買って――ということに、変わってくるんじゃないかな、と。

 

これからの宇都宮のまちづくり

 

――最後に、町の中心部はこうあるべきだ、こうしたいっていうご意見をぜひいただきたいと思います。

齋藤 宇都宮はやっぱり二荒山を中心に栄えてきた。たまたまうちもその周辺に物件があったんで、少し昔のにぎわいというか、人が集まるような施設造りもまた今後考えていきたいと思ってます。

 そのためにも、再度あそこの再開発でもう一度にぎわいを少しでも戻せる、われわれのできる限り頑張っていきたいと思ってます。

 

増渕 私はもう鉄砲町から今百目鬼に住まいを移してしまったのですが、通りをなくさないでほしいとは思いますね。赤門通りとか、鉄砲町通りとかという名称は残しながら、昔何があったのかを思い起こすよすがになる場所を作ってほしい。

 あとは今、公共のLRTなどを使いながら、あそこに降りて、県の文化総合センターに行くんだとか。歩いて行ける範囲内に図書館もあれば、美術館もあれば何もあるというのは、いろんなまちづくりをしながら、帰りにあそこのうどん屋に寄ってくかとか、あそこであんみつでも食べるかっていうようなまちづくりを自然に、昔に戻ったような形でやってくと、また違う意味での宇都宮のいい思い出のあるようなまちづくりになるんじゃないかなと思って。

 ここにすごい建物ができて、それで人が集まって、商売がうまくいって、という街づくりは、もう僕らも経験しましたけど、時間はかかるし大変だし、一歩間違えるとあんまりいいことない。固定資産も高いですしね。

 そういう意味では、宇都宮のいいところを、町名なり、道をなくさないようにしながら、そこに何かいいものができてきて、県なり市なりがいろんな施設を町の中に造っていただければ、自然ともっといい環境になってくんじゃないかな。またそういう環境を望みますね。

 昔のバンバのいきおいを僕ら知ってる世代としてはほんとにすごかったですよね。ただ、あれはもう語り継がれるだけであって、今さらあれに戻ったからっていいと思わない。自転車の時代から車の時代になって、また今度LRTの時代になってと形を変えていく中で、これからのまちづくりを考えてったらいいんじゃないかなと思います。

 

――今のお2人の話を聞いて、全くそのとおりだと思いました。今後は、街全体が共生っていうんですか、そういう形で再開発なんかもやっていかなければならないのではないでしょうか。ですから今日のお話を聞きまして、宇都宮の町はどうあるべきか、どう中心市街地が発展するかについて、さまざまな刺激をいただきました。

 これから発展するっていうのはやはり、町名とか通りの名前など、歴史的ないろんなことを感じながら発展しないと、本当に寄り道できるような楽しい町っていうのはできないと思います。それをこれからどう取り入れてまちづくりをしていくか、大きなターニングポイントになる気がします。

 

 
 
 

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