第2回 インタビュー

最終更新: 1月7日


10月22日(木)に宮再発見専門委員会で「うつのみや発展秘話」の第2回目のインタビューを行いました。お二人目は、宮の中心部バンバで商店を営んでいました大野幹夫氏にお話を伺いました。戦前や戦後の中心市街地の商業について、長年のご経験からお話をいただきました。今後、取りまとめをして「宮再発見専門員会」のホームページに掲載してまいります。大野様には、長時間に渡り貴重なお話をいただき、ありがとうございました。


大野幹夫さんのプロフィール

● 1932年2月14日(昭和7年)宇都宮市馬場町生まれ(現・馬場通1丁目1の53)

当時、家業は店名を「森永共栄キャンデーストアー」とし、森永製菓株式会社の菓子や乳製品を専門に取り扱っていたほか、製菓製パンと小売・レストランを営業していた。

昭和11年~12年店舗改築のため江野町にて仮営業

● 宇都宮市立昭和小学校((空襲で焼失前は総合文化センターのところにあった)

● 県立宇都宮中学校(現・県立宇都宮高校)

在学中の1945年(昭和20年)に宇都宮大空襲に遭遇、馬場町の店舗、川向町の製菓工場、新宿町の本宅を焼失、終戦を迎える。家業の店は店名を「大野屋」と変え旧来の製菓製パンと小売業に加え書籍業を開業した。

● 上智大学(新聞学科)卒業

● (株)大野屋常務取締役就任 主として書籍販売業務に従事

在任中 二荒山神社氏子青年会会長、馬場町青年会会長、バンバ通り青年会事務局長等の活動に従事

● 昭和43年住居を鶴田町に移転

● 昭和44年 大野屋は、山木屋用品店(篠崎)二荒だんご(高橋)みやこ寿司(高山)銀座堂洋品店(相馬)上野百貨店(上野小七)の6店舗による共同出資によりビルの管理会社を設立し商業ビルを建築。ビルの名称を「新上野ビル」とし他の5店舗とともにテナントとして出店した

● 共同ビル建築中は山木屋とともに江野町「上野楽器」店内で仮営業を行っていた。

● 大野屋は共同ビル撤退、解散

● 昭和45年(株)落合書店入社 営業部長 オリオン店(江野町)バンバ店(相生町)本店(材木町)店長歴任

● 昭和64年落合書店退社後 放送大学放送大学入学心理学課程修了

以後ボランテイア活動等社会活動に従事

現 とちぎの空襲を語り継ぐ会 代表 (栃木県内全域にわたる空襲の状況をネット上で公開、ウエヴページ「とちぎ炎の記憶」 https://tsensai.jimdofree.com 作成)

現 認定NPO法人とちぎ・ボランテイアネットワーク会員  ほか





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トヨタウッドユーホーム株式会社 中津正修会長 山田 私は、今回は宮再発見委員会の副委員長という立場でお話をお聞かせいただくことになっています。 昨年から私も経営の第一線を引きまして、今は創業した会社の監査役という立場でおります。その前は松下電器に勤めていましたが、当時、松下幸之助が平出工業団地にする時に平出工業団地に県の職員の方に案内してもらって、長靴を履いて歩いて回り「ここにする?」と言って決め